変形性股関節症
利尻に来て、私が手に入れたものの一つがこれだ。
変形性股関節症。
股関節の軟骨がすり減ってしまう疾患だ。
程度の差こそあれ、そこにはかなりの痛みが伴う。
島に来てから始めた、慣れぬ肉体労働、昆布干し。
私の場合、これが引き金になったようで、気づいたときには痛くてどうにもならない状態だった。
島にも病院は、一応ある。
しかし島民たちは、常備薬をもらいに行くところ、くらいの認識しかない。
そうなると、何かが起こった場合にはせめて札幌まで行くのが普通だ。
私の場合も、レントゲンを撮る前から、病名は知らぬまでも何となく股関節の軟骨がすり減っているのは感じていた。
虫の知らせのようにそんな気がしていたので、とにかく島の病院でレントゲンを撮ってもらったのが始まり。
「専門医に診てもらってください」と言われて帰ってきてから、どうするかを考えた。
選択を迫られる
とにかく痛い。
痛くてたまらない。
特に夜間痛がひどく、痛み止めを飲んでもどうにもならない状態が続いた。
いろいろ調べれば調べるほど、手術すれば治る、という情報が飛び込んできた。
股関節を人工関節に交換する、という手術だ。
あまりの痛みで、私もすぐに手術を決断。
とはいえ、病院の心当たりもなく、とりあえず実家に帰って横須賀市民病院で診てもらうことにした。
もちろん、診断結果は予想通り。
はっきりと、変形性股関節症の診断を下され、治すには手術だという話になった。
もちろん想定内。
じゃあ手術の日程を決めましょうか、という段取りになって、後日血液検査をしたところ、糖尿の気があるとの診断が下された。
糖尿があると、合併症の危険があるため、手術はしないほうがいいという説明を受けた。
覚醒
そこで私はようやく目が覚めた。
ちょっと待て!
まず痩せる、話はそれからなのでは?
そう思うに至ったわけだ。
痛いからといって、すぐに手術、と考える前に、まだやるべきことが残されているのではないかと。
過体重が股関節に負担をかけることなんて、素人でも普通にわかる。
しかしながら、デブ歴の長い私は、割と運動神経も良く、動けるデブだっただけにタチが悪かった。
そのままでも暮らせる術を身につけてしまっていたからだ。
何度ダイエットしてもリバウンドしてしまう。
しかし、今度ばかりは真剣に痩せよう!
体にメスを入れるのは、もっと努力をしてからだ!
そう、思った。
方向転換
反省した私は手術を取りやめ、方向転換。
まずは横須賀市民病院の先生に、リハビリ病院の紹介を頼んだ。
が、しかし、心当たりはないという。
現在、変形性股関節症は、手術で治る病気、という考え方が常識となっている。
市民病院の先生もリハビリで治るものとは思っていないようだった。
セカンドオピニオンとはまた違うようなので、紹介はもらえない。
かといってあきらめきれない。
とにかく、ダイエットを兼ねて入院できる病院が、その時の私には必要だったのだ。
リハビリ治療に賭けてみる
そしてまた、Google先生に相談した。
検索して検索して、巡り合ったのが、山梨県の石和温泉にある、富士温泉病院。
股関節の保存療法に取り組む先生がいるとの情報を得て飛びついた。
早速連絡を取り、入院にてリハビリ治療に取り組むことになる。
2013年12月のことだ。
あれから3年。
毎年冬には、富士温泉病院に2ヶ月ほどリハビリでお世話になっている。
おかげさまで、保存療法のまま股関節を小康状態に保っている。
治ったとは言わない、でも耐えられない痛みと連日戦うようなことはなくなった。
一度はかなり痩せて、痛みもほとんどとれていた。
今はまたリバウンドしてしまったので、その辺りは少し声を潜めておきたい気分だが、それでも以前よりは痛くない。
変形性股関節症は、神様からの贈り物
その理由が、最近わかってきた。
私は、この病気に感謝し始めたのだ。
股関節が痛くならなかったら、知らずにいたことがたくさんあった。
知り合えない人がたくさんいた。
突っ走り続けてきた私の人生にブレーキをかけてくれたのも、この病気のおかげなのだ。
何よりも、人の痛みがわかるようになったことが大きい。
マッサージという仕事には、最も必要なことなのだ。
理屈でなく、人の痛みがわかることが。
そう思うと、不思議と愛しくなってくる。
冬は山梨で過ごし、夏場は利尻で漁の手伝いをする。
今の私は、そんな生活スタイルだ。
家庭の主婦がリハビリ入院するというのは、口で言うよりも簡単なことではない。
旦那さんの理解がなければできないことなのだ。
富士温泉病院で出会った患者さんたちから、幾度となくそんな声を聞いた。
私がこうして保存療法を続けていられるのも、理解ある夫のおかげだと思うと、感謝の気持ちも湧いてくる。
だから最近は素直にこう言えるんだ。
変形性股関節症、これは神様から私への贈り物なのだ、ってね。