失った大切な人を思う

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島に帰ってきた。
予定通り、1日に山梨から羽田行きのバスに乗り、空港で聞いた漁師仲間の訃報。
その日の早朝、よねさんが還らぬ人になってしまった。
享年67歳、またしても若すぎる人を見送るなんて、心が折れそうだ。

よねさんは、私が島で最も信頼する漁師仲間だった。
胆道ガンを患ってから、抗がん剤治療を続けること1年半。
ちょうど私が入院する直前に、モルヒネが投与され始めていたので、入院をやめるかどうかとても迷ったけれど、「6月には帰ってくるから!」と言い残して山梨行きを決めた。
途中、何かが起きれば退院してすっ飛んで帰るつもりで。

よねさんは最期の最期まで、気遣ってくれたのだろう。
私の帰島に合わせて、深夜にそっと旅立った。
不思議なことに、1日以降、昨日までの2日間は、フェリーも飛行機も欠航という、この時期にしては珍しい荒れっぷり。
私は、1日でなければ帰れなかったのだ。
奇跡的に、その日の夜には会いに行けたこの状況は、よねさんからのプレゼントなのだと思えてならない。

島で唯一の心の支えであるよねさんを亡くしたことは、私にとっては大きすぎる、本当に致命的な痛手なのだけれど、ゆうべの仮通夜を終えて少し心の整理がつき始めた今では、おだやかな顔をしていたよねさんが、もう苦しまなくても良い世界に行けたことが良かったのだと思えるようになった。
悲しいけれど、受け入れるしかない。

去年、山梨の親友を亡くし、今年、島での大先輩を亡くした。
私の大切な人たちが、次々といなくなってしまう恐怖は言葉では言い尽くせない。
いったいどんな試練なのだろうと、神様をうらむほどの出来事だ。
大切な人を見送ることは、本当に辛い。
それ以上大変なことなんてないほどに。

でも、大親友は私の山梨行きを待っていてくれた。
よねさんも私の帰島を待っていてくれた。
きっと私が旅立つときには、お迎えに来てくれるはずだ。
それは素直に信じていられる今が、ある意味では幸福なのかもしれない。

15日からは、仙法志でもウニの旗が揚がる。
島での葬儀は、みんなのお手伝いが必要なのだ。
漁師仲間に迷惑をかけぬよう、その前に旅立ったよねさんのお通夜は今夜。
明日の告別式まで、悔いのないようお見送りをしてくる。

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