利尻島民の不思議な特徴

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利尻の不思議

東京まで1045㎞、サハリンまで108㎞。
それが利尻島。
ほぼロシアとも言える最果ての地。
今日はここで暮らす島民たちの不思議な行動、言動についてまとめてみたい。

お店で誰かに会ったら必ず「何買いに来た?」とかごの中までチェックを欠かさない。

これ、私には異常事態。
でもみんな普通にやる、それが親しいサインなのかもしれないが、未だに違和感あり。
かごの中を覗かれるのは、あまり気分の良いものではないなどという私の気持ちは、ここでは永久に理解してはもらえない。
とにかく人のことが気になって仕方ない、という島民の特徴ともいえよう。

「なした?」には「なんもだよ」と答える。

これは標準語に訳すと、「どうしたの?」「どうもしないよ」という意味なのだが、どんなシチュエーションでもよく聞くフレーズ。
この意味のない会話が日常茶飯事、あちこちで繰り広げられている。
何が聞きたいのかもわからないし、何を言いたくないのかもわからない、ただの挨拶。
謎だ、謎すぎる。
帰ってくる答えがわかってくるのに、なぜ聞き続けるのか。

人の家のご飯が気になって仕方ない。

これも不思議だ、夕方以降に誰かに会うと、高確率で「今日のごっつぉ(ご馳走)何?」と聞かれる。
そのアクセントも謎だが、なぜ毎回そればかり聞く?という人が多すぎる。
聞いてどうするのかもわからないが、そんなことを考えてはいけない。
ここではとにかく、こういう無意味な会話をそつなくこなせないと生きられないようになっているのだ。

「〜さんない」には「俺は悪くない」が見え隠れする。

これは島だけの現象ではなく、北海道弁としての謎なのだが、「〜さんない」という言い方を良くする。
「〜できない」という意味なのだけど、なぜかこの「〜さんない」には、こちらが責めてもいないのに、「決して自分は悪くない、、対象物が悪いのだ」という意味が込められているのが特徴だ。

「このペン書かさんない」(だから俺が悪いわけじゃない)

「このボタン押ささんない」(俺は絶対に悪くない、ボタンが悪い)

という裏のニュアンスが、聞こえてくるのが不思議すぎる。

昆布が札束に見える

声を大にして叫びたい。
昆布は、札束ではない!
自分たちの労働時間を計算したことがあるのか?
私に言わせれば、こんなに割に合わない商売はないのだ。

だが、島民たちは違う。
昆布が札束に見えるらしいのだ。
私には永久に理解できない。

こんなことを思うのは、私が永遠のよそ者だからなのだと思う。
面白いよ、島民たちは。
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