私が人工股関節を選択した理由

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はじめに

気がつけば、前回の更新から8ヶ月も過ぎてしまい、またしても超ご無沙汰状態。
この期間に私は、今までずっと保存療法で付き合ってきた変形性股関節症にひとつの節目を迎えていた。
そう、手術に踏み切り、とうとう人工股関節とのおつきあいを始めていたのだ。
時々更新をチェックしてくれていた読者の皆様にとっては、寝耳に水の話で、誠に申し訳ありませぬ。
親しい人たちには個別にお知らせもしてはいたのだけれど、日々頭の整理がなかなかつかないままだったため、ブログでは初公開となってしまった。

いったい私に何が起こっていたのか?
今日はその辺りを自分の心の整理の意味合いも兼ねて、文字にしておこうと思う。

転機を受け入れる

去年怒涛の昆布漁に追われた夏から、さらに延々と続いた昆布作りが終わり、全ての昆布を出荷したのは、11月のことだった。
例年にない大量の昆布処理で、私にはそれまで他のことを考えるほどの余裕はなかった。
ただひたすら、修行僧のごとく、来る日も来る日も昆布を作り続けた。
その間にも、夏にいためた右股関節の痛みは増す一方。
例年のごとく、昆布さえ終われば年末年始を使ってリハビリ入院して温存していく予定だったのだけれど、ここへ来てそうはいかなくなる出来事が勃発。
あれは10月くらいだったろうか、糖尿病から腎不全を発症していた夫の病状に、医師からきつい宣告があったのだ。

「透析間近」

この重すぎる現実が私の前に、大きな壁として立ちはだかってきた。
今のままでは、この島での生活は、夫が働けなくなれば、瞬く間に立ちいかなくなってしまう。
そうなれば必然として、私が生活を支えられるだけの仕事をしていかなければならない。
そんな現実を前に、リハビリでの温存療法に限界を感じたのだ。

私の状態であれば、今までのようにリハビリを続けていけば、確かにまだまだ股関節は温存可能だっただろうけれど、積極的にどんな仕事でもできるまでに復活することは不可能。
それは今までの経験から得ていた事実。
何よりも、痛みに耐え続ける、という生活の中では新しいことにチャレンジする気力が、まずもって湧いてこない。
それに加えて、49歳、という年齢がまた微妙だ。
ついこの前までは、アラフォーだ、なんて思っていたのに、いつのまにやら初老の仲間入りを果たそうとしている年齢にさしかかっている。
今後の生活に大きな変化を起こせるだけの体力、気力を求めるのであれば、いよいよ手術に踏み切る時がきたのではなかろうか、と考えた。

変形性股関節症というのは、自分だけの病気ではない。
絶対的に家族の理解や支えが不可欠なのだ。
だからこそ、手術に踏み切るか否かは、決して病状だけで簡単に決められるものではない。
今までずっとそう考えてきた私に、こうして転機が、ある日突然のように訪れた。
まずは、これを受け入れることから始めよう。
そう思って、今まで現実的には考えていなかった、人工股関節の手術へ向けて自分の意思を方向転換していった。

人工股関節手術への道のり

みなさまご存知の通り、私は思い立ったら行動は早い。
何よりも、まず動く。
動いてから、起きた出来事にひとつひとつ対処する。
どうやらそういう性分らしく、自分で意識しなくてもいつのまにかそうなっているのが常。
導かれていく感じ、というものをどこかで察知しながら動くしかできない、野性的な人格。
何をするにも、そこに他人を納得させるだけの理屈が存在しないことで、ある意味無鉄砲に思われたりもするが、自分ではそんな性分が嫌いではない。
いや、むしろ好きかも(笑)
今にして思えば、2015年あたりから、私にはそんな波が来ていたのだ。
自分の周りに、手術をした人が増え始めた。
求めて得た人脈ではなく、なぜかそんな人が集まってきていたのは、まさに虫の知らせ。
そんなことを思い出しながら、まず考えたのは手術をする場所。
実家のそばの、湘南人工関節センターも候補にあげたのだけれど、今後の検診なども考えると、やはり札幌も捨てがたい。
利尻からもアクセスしやすいし、よしんば引っ越したとしても都心からでも通うことができる。
そんな理由から札幌に狙いを定め、石部基実クリニックの存在を知った。
何年か前に、NTT病院にゴッドハンドが・・・と噂に聞いていたあの石部先生が、なんと今ではご自分のクリニックで診察を行なっているという新事実を知った。
しかも、そのクリニックは札幌の中でも不便だったどこかの地下鉄の駅から、今まさしく大通りの一等地に移転しようとしている矢先という絶妙なタイミングで。

なんというラッキー!

さっそく電話してみると、3ヶ月待ち、などと言われていた初診察の予約が、12月8日(だったと思う)に取れた。
これまたラッキー!

こんな流れが私を手術へと後押ししているように思えて、さらに突き進んでいくことになる。

保存療法との両立に向けて

さて、そうなると今度は富士温泉病院のことが気にかかる。
今まで、患者さんの間では、まことしやかにこう語られていたからだ。
「勝手に手術をした患者さんは2度と受け入れてくれない」

それは困る!
非常に困る!

私が今回手術に踏み切ろうとしているのは、決して保存療法を否定してのことではない。
もちろん、手術をしたからといって、絶対的な成功が保証されているわけでもなし。
術後の具合が悪い人たちの話も聞いてきた私は、やはり富士温泉病院の存在は助け船。
残る左脚だけでもできる限り温存したいし、今まで本当にお世話になったことも考えると、矢野先生に無断で勝手に手術をするのだけはやめよう。
そんな流れで、富士温泉病院に相談してみると、これまたちょうどよく17日の矢野先生の診察予約が取れた。

こうして無事に、札幌→山梨という旅程を立てて両先生と相談することができる流れができあがった。

石部基実先生の初診察

大通りの大きなビルの10階。
ピカピカの新しいクリニックで、石部先生の診察を受けた。
動画でお目にかかっていた通り、すがすがしいほど光り輝く頭に圧倒されながら、心配だったことをたずねてみた。
そもそも、手術が本当に必要なのか?
これには何の迷いもなく「もう末期なので手術以外に道はありません」と明確なお答え。
こんなデブでも大丈夫なのか?
「もちろん痩せたほうがいいけれど、できます、大丈夫です」と、これまた一切の迷いがなく、石部先生の態度はどこまでも自信と威厳に満ちていた。
これは心強かった(笑)

手術に向けての段取りとしては、血液検査、尿検査、レントゲン、心電図の健康診断の結果を見てから、実際の手術まで3ヶ月待ちくらいだという話だった。
ただ、その健康診断、クリニックでは受けられないので、近所の病院で受けてください、というお話だったのだが、今回私は札幌から横須賀への帰省を兼ねて山梨に飛ぶ。
この点は少々不満だったかな。
健康診断結果が必要なのであれば、予約時にそう言ってもらえれば、初診察の予約日までに島で受けることができた。
そうすれば話が早かったとも思うけれど、これも今となってはこの流れで正解だったとしか思えない。
矢野先生にお話をする前に決めることはできないもんね。

そんなこんなで初診察はあっけなく終了。
石部先生とお話した時間は本当に短かった。
そもそもここまで有名なゴッドハンドの前では、「手術しようか?やめようか?」という質問を投げかける患者さんはほとんどいない。
皆、手術を決心してから「どうしても石部先生に!」とわざわざ遠くからやってくる患者さんばかりだ。
患者、というよりは信者に近い。
待合室で、何人かとお話をしたけれど、今までリハビリ病院で出会った患者さんたちとは、全くオーラが違っていたことが、とても印象深かった。
温存など、そもそも念頭にない人たちばかりで、なんだか手術がとても身近なものに思えたっけね。
自分が身を置く場所で、何が普通なのかの概念が決まるのだ。

富士温泉病院の理解

いよいよ矢野先生の元へ。
いささかの私も、やはり手術を切り出すには勇気がいった。自分の今の状況をそのままにお話しして、もし拒否されたら仕方ない。
そう思っていたのに、ここへきてまたしてもまさかの展開が!
どこのどなたかが助け舟を出してくださったのか、全く心当たりがないのだけれど、矢野先生は今の私の状況をすでに知っていてくれた。
「大変だねえ」と優しく理解を示してくれた。
もちろん、手術に手放しで賛成ではない。
もったいない、もったいないと言いながらも、私の選択を受け止めてくれた。
この懐の大きさには感動したよ。
「右は仕方ないにしても、左は守ってくれなきゃ困るよ」と、嬉しい言葉をいただいた。
今後も何かあったら面倒を見てくれるとも。
さらにさらに、石部クリニックで指示された健康診断も、そのまま富士温泉病院でやってくれたのだ。
今までのレントゲン結果も、全てCDに落として持たせてくれた。
いったいどこのどいつだ、見放されるなんて嘘の噂をたてていたのは?

きちんと筋を通せば、矢野先生は患者をとても理解してくれる素晴らしい先生だ。
それだけは、声を大にして伝えたい。

手術を受けて

こうして私は12月のうちに手術へ踏み切る決心を固め、股関節は相変わらず痛かったけれど気持ちよく島に帰った。
健康診断の結果を年末に郵送し、あとは手術日の連絡を待つこととなった。
3ヶ月待ち、と言われてたので、春になるかなあ、少しでも痩せなきゃなあ、などと思っていたら、ここでもまたまた急展開!

年始にさっそく石部クリニックより連絡をいただいて、「2月6日の手術にキャンセルが出たのでご都合はいかがですか?」と。
まじか!早っ!
受けます!受けますとも!
二つ返事で承諾し、札幌外科記念病院で手術を受けて来た。
そのあたりのことは、また別記事でまとめる機会をもたせてもらうとして、術後2ヶ月半が経過した今、経過は順調。
おかげさまで念願だった街歩きも満喫できるほどに回復している。
手術を思い立ってから、たった4ヶ月で、痛みとさよならできたことはまさに奇跡的な流れがあってのこと。
パタパタと開いていく運命の扉を開ける快感を久しぶりに味わった。

現在の状況

先月から、夫の透析が始まった。
週に3回、島の病院で透析を受けている。
今後の生活のめどはまだ立ってはいないのだけれど、私の手術が早く済んでいたおかげで、新しい人生をスタートする気力が出ている。
ただし、悔しいことに、右脚の痛みが消えると、今まで気にしていなかった左脚が少々痛み始めた。
これもまた何かの知らせと受け止め、富士温泉病院に来月のリハビリ入院の申し込みをしたところだ。

今、できること。
それに真っ向から向かっていけば、きっとその先に答えはある。
そう信じて。
私はいつでも、ただただ必要な経験をしている。
それだけのことだ!

謝辞

いつも暖かく迎えてくださる富士温泉病院の皆様、素晴らしい手術をしてくださった石部先生始め、スタッフの皆様方、どうもありがとうございました。

そしてそして、目の前のことに追われていた私が、長くサボったブログを再開できたのは、何よりも読者の皆様のおかげです。
特に股関節患者の仲間の皆様が、更新をチェックしていてくださったこと。
いつか書かなきゃ、そう思いながらも動けなかった私が、重い腰をあげることができました。
心より御礼申し上げます。

どうもありがとうございました。

そして、これからもどうぞよろしくお願いします!

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